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見知る

顔のない街に住む我々にとって、通常では職場が同じか、子供が同じ学校へ通っているとか、幼馴染である、もしくは同じ趣味で繋がっているということ意外にお互い同士を知る機会が案外無い。縁あって隣同士に住んでいたとしても、何かのきっかけでもないかぎり”顔のない”住民同士なのだ。

からだが丈夫で、自分のことが自分で事足りている分には、いささかも問題はなかったりするのだろう。順調な時にはそれでいい。しかし、体調を崩した時に”顔のない”者同士だと、これほど心もとないものはないのではないか。

それでも知らない者同士では、できることが限られてくる。その限られた中にあって、からだのことについては何とかしてあげられることがある。からだを通して”見知る”ことができるのが私の仕事だ。

からだにピンチが訪れた時に、顔のない街の住人であっても”見知る”ことができる。そしてピンチが招いた縁によって私は生きている。あなたのピンチで、あなたを”見知る”。見知ったあなたを、私のほうから顔のない街の住人にはしない。




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顔のない街

車を運転している時に強く感じるのが『顔のないお互い同士』だろうか。運転手の顔はチラっと見えたりはするのだが、よほどの知り合いでないかぎり全くの他人である。都市部においては、車の運転中ほどかなり近い空間でお互いが存在している。にもかかわらず、顔のないお互い同士ゆえに、そこにはほとんど礼儀作法などというものが存在していない。

それゆえに、目的地を急ぐほど、そこに礼儀作法などとというものが全く欠如した状態になる。驚くほどに無作法になってしまうから不思議だ。この無作法が、案外ストレスのもとだったりもする。もともと無作法を働いている側が、相手に対してストレスを感じているから更に質が悪い。

ひとつの提案として、車の持ち主のプロフィールをナンバープレートのように見える形で表示することだ。私は誰々ですと名乗りながら運転するのだ。そうすれば多少なりとも”顔のない”状態が解消されるのではと思うのである。ただし、気がかりがないでもない。車によっては、会社の看板を背負って走る車を見かけるが、これがマナーが良いとは決していえないからだ。

「旅の恥はかき捨て」とは言い古された言葉だが、顔見知りの多い田舎を除いて、都市部ではハンドルを握るともう即座に旅先の状態になってしまうのだろう。その時に、「先を急ぐ」という心理さえ取り除ければ、随分と街の見え方が違ってくると思う。一人ひとりが掛替えの無い存在との思いでハンドルを握れば全然違った運転ができるだろう。それでも交通事故死の減少傾向は、徐々にではあるが「顔のない街」の生き方に進歩向上をみることはできる。







プラスα(アルファ)の力

前回は、このプラスαの力「ケミストリー」についていいましたが、ではいったいこのプラスαは、どこから生まれてくるのでしょう。それには、やはり、そういう力があるということをあらかじめ認識しておくことから始めたほうがよいように思います。

同じ作業や、動作をしなければならない、あるいはしようと思うときに、単に義務感でやっている動作と、自分の思いが込められて行う動作では、その結果に相当な開きがあるように思います。

これは、自分だけではありません。自分の身の回りの人にでも、共同作業をしたり、してもらったり、させたりする場合に、義務感からやらせている作業と、目的意識ややる気をもたせてやる作業では、その結果が全く違ってくると思うのです。

例えその結果がたいして変わらなかったとしても、義務感をかかえたまま終わる作業とでは、達成感が全く違っていることは想像に難くないと思うのです。人は何かをしなければ、生きていけません。やっている作業にプラスαを加味して考えると、そこから面白みが自然と現れて、何かをやっている自分が楽しい存在になれると思うのです。




       これがわたしの思いですありがとう地蔵

ケミストリー

多くの方は『ケミストリー』というと、有名なミュージシャン・アーティストとしてのケミストリーを思い浮かべるのかもしれません。しかしながら、表題にしていながら、アーティストとしてのケミストリーを私自身、全くといっていいほど知らないので悪しからずといったところです。

この言葉の意味をご存知でしょうか?もとは「ケミカル」ということで化学物質全般を指す言葉です。また化学の、とか化学上のとか訳される言葉です。当然、「ケミストリー」となると化学、もしくは化学作用を意味するのですが、単にそれだけのものだったら何の興味もありません。

この「ケミストリー」をスポーツにおいて発展させたのがアメリカです。目的を一にする集団において、そこから生まれるチームワークや信頼関係が、個々の持っている能力以上のものを引き出す力がある、このプラスαの力が化学反応のようでもあることから『ケミストリー』もしくは『チームケミストリー』と呼んでいるのです。

集団での行動というと、日本の農耕はまさしくそのものでしょう。農耕集落の団結力というのは、日本人が示してきた伝統的な力だと思います。ところが、このケミストリーにいわれるような概念が存在したかというと、団結力というだけでは、物足りない気がします。「三人寄れば文殊の知恵」などが『ケミストリー』を先駆けた言葉なのかもしれませんが、これも個々の輝きには乏しく思えます。

人間は一人では生きていけません。だから何かに属して生きていかなければなりませんが、個人としても何か輝ける存在感がほしいというのが正直なところではないでしょうか。『ケミストリー』という概念を持って集団に属していると、随分と明るい気持ちでいられるはずです。そして“はり”の治療もこのプラスαの力を期待しているところです。




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