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症状があっても「未病」?

重い自覚症があっても病院で診断を受け「器質的疾患」が見つからない場合に「未病」ということになるのですが、変な話ではあります。「未病」に近い症状として頭痛や不眠、ふらつき、不整脈として出ない動悸、寝違いやむち打ち症、ぎっくり腰などなど数えれば限りなくあります。ぎっくり腰などでは自分で起き上がれないこともあります。

このような状態にあっても、病院にて機器類を用いて診断するとどこにも異常が認められなかったりします。そういう面においては、歴とした「未病」ということになるわけですが、動けない状態にあったり、自覚症としてその辛さで苦しんでいるのを目の当たりにして「未病」もないでしょう。

MRIなどの画像を見せられると、その中身のすべてがわかったかのように思えます。ところが画像というのは、一定の計算のもとに画像処理されて表示された影像に過ぎません。更には詳細なデータを要する場合には、造影剤の服用と細切れ断層処理のために長時間の診断を要します。検査が簡単に終わったと喜んで報告される方がいますが、要するに大雑把な診断だったということです。

実際の治療においては「未病」「既病」の区別に何の意味もありません。重要なことは、目の前に現れている状態の改善です。先端医療の進歩がその使い分けを複雑にしているのだと思いますが、我々からみると「外傷を除いた病院での治療」というのは最後の最後の手段であっていいということです。その前にやれる段階があってそういった治療が先ず第一です。




       これがわたしの思いですありがとう地蔵
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そもそも「未病」って何だ?

前回「器質的疾患」を得意とする現代医療に対して「機能的疾患」の治療に優れた東洋医学について述べたところです。「機能的疾患」とは、「形」として捉えがたい症状として現れていて、それを「気」というエネルギーの変化をみることで病状を捉えられるものです。

理屈はそんなところですが、実際に体の所見を触ってみてみるとそれが皮膚や筋肉の突っ張りだったり、弾力が欠けたり、色艶が悪かったりと様々な状態を示してくれています。それでいてMRIやCTなどの先端機器では捉えられない症状です。こういった状態を「未病」と呼んでいいと思います。

ですから「未病」とはいっても実際には「病」の兆しとなる状態が散在しているわけですから、その段階での変化こそ本来最も重要視する必要があります。しかしながら現代医学のように数値表示する「健康診断」という見方が当たり前になってしまうと「未病」の視点が抜け落ちてしまいます。

我々の「はり」治療は、単に「未病」という診断をしているだけではなく、その触覚所見に対して「気」の充実度をみてその過不足すなわち「虚実」をみています。多くは「虚」の所見を呈しており、それに対して「補法」という「気」を補充する手技を行って「未病」の改善を図っています。




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未病を治す

東洋医学の最も優れている点は、人間を診る際に「気」「血」という二つの大きな柱を基点にしていることにあります。「血」というのは、形として現れるものの代表であるので、MRIやCTスキャンなどの検査技術、各種試薬による臓器の指数化によって影像や数値という具体的なものに健康を置き換えて診る事ができます。

それが具体的なものであるがゆえに、総てをわかったような錯覚に陥りやすいのが欠点でもあります。形を構成する肉体が、数値のみによって正悪が判断されがちになるからです。しかし、数値や形態というのは、その要素のほんの一部分でしかありません。ですから、数値はあくまでも一つの目安であってそれ以上でもそれ以下でもないのです。

そういう面でも現代医学が、形の見えない世界、目視で確認できない症状に対しては、極めて不得意な分野であることがわかります。どうしても「形がある」つまり「器質的疾患」として捕えられることが前提になってしまうからです。具体的には、血圧がなんぼだとか胃や腸に潰瘍があるとか、出血がみられたりポリープやガンのような目に見えるものが存在することではじめて治療の対象となるのです。

それに対して東洋医学では、形ある肉体を「血」とし、それは「気」という見えないエネルギーに誘導されてその働きを全うしてると診ていますので、先ずは「気」の変化を重視して治療に当たります。このように器質的疾患が起こる前に「気」の変化があって、最初からその変化を捉えるべく診ていますから「未病を治す」という治療になるのです。




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五労(ごろう) その3

疲れというのは働くことのみで起こるわけではありません。「座り疲れ」などというと働き者の方にとっては、理解しがたい「疲れ」になるかもしれませんが、座っていることも「疲れ」につながることを知っておくべきです。

座った動作は、手足を使いませんから手足を使うことでの「血流」が期待できません。加えて座った姿勢というのは、胴体と足とが90度に曲がった状態の姿勢になりますので、それは「みぞおち」のあたりから折れ曲がった状態になりその部分が窮屈になる姿勢でもあるわけです。。

そうした状態で疲労しているのが「脾臓」です。「脾臓」というのは、消化器の働きを代表する臓器です。ですから、座った姿勢で長時間過ごしていると胃の中の水が停滞して働きが低下します。それが「脾臓」の不調を来たす事につながるのです。

通常では「座る」「寝る」という動作は、「疲れ」とは縁遠いもののように思われがちですが、体にとっては動いて働き続けていることも、じっとした姿勢で居続けることも同じように「疲れ」を生じてきます。生活の動作においてもその時間配分、つまりバランスが大事になります。「はり」の治療は常にこういったバランス加減をみて、その調整に努めた治療を行っています。




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