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首のこりは、繰り返す

前回に「首のこり」に対してのあらましを述べましたが、首の症状の下地には骨盤のゆがみはもちろんのことですが、更には体を支える力の低下と疲労を回復する力の低下がその根本にあります。ですから、時間の経過と共にお腹の力や骨盤の筋力の低下、足元のバランスの悪さが積み重なって頚椎の変動へとつながっています。

それゆえ常に重たい頭を支えている首の状態は、体調によって好不調があり、体調が良いときには、支える力の回復力とバランス加減がうまくいっているので、症状を回避できていたりします。その逆もあって、不調に慣れてくるとそれが当たり前になって、あたかも症状が無いかのような状態にもなります。

その変動は患部に「触れる」とすぐにわかります。我々が定期的な治療をお勧めするのは、来院して頂くとそれが即座にわかり、即座にその症状の改善ができるからです。症状が軽いほど、簡単に変動を修復することができます。時々「はり」の治療は「クセ」になるというような捉え方をする人もいますが、それは変調を正しながら過ごすのを「クセ」と言っているに過ぎません。生活習慣の重要性は今更申し上げるまでもないことです。

腕の痺れや肩の痛みが出ている人は、こうした「首のこり」が、慢性化して放っておいたがために現れた症状といっていいでしょう。そうならないためにも、体の機能低下は必ず誰しもが起こしている変動です。こうした症状は、ある意味では体の悲鳴みたいなものです。ですから週に1回くらいの治療が理想で、それができなければせめて半月あるいは月に1回程度の治療で、修正しておくことをお勧めするのです。

  ※5月28日(水) 本日の午前中、この当たり一帯が電柱工事のため
   停電になります。
    そのため午前中は休診致します。電話もつながらないと思います
   ので宜しくお願いします。




       これがわたしの思いですありがとう地蔵
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首のこり

「後頚部のこり」は、重い頭を細い首で支えているために日常的に起こりやすい症状の一つです。もったりと重たい感じ、首の置き場がないような感じ、何とも表現しがたい気分の悪い感じ、人によって感じ方は様々ですが、具合の悪いことに変わりありません。なかには無症状で、突然のように腕の痺れや頭痛、めまいなどの形で現れたりもします。

また、人によっては目の奥の痛み、目のかすみ、目がショボショボする、頭が何となく重い、ふわふわするなどなど、これまた様々な症状が混在していたりもします。こういった症状は、頚椎の第1、第2、第3番あたりの深い部分での筋肉の緊張が大きく影響しています。

これは、レントゲン、MRIなどで診断してもせいぜい頚椎の椎間板が狭くなっている、もしくは頚椎のヘルニアがあるなどという診断のみで具体的な治療法が無いことが多い症状でもあります。こういった場合の首の反応は、案外触診で即座に捉えることができ、「はり」の治療では診断即治療、即改善で痛し痒しの部分に直接手が届きます。

「はり」の治療がもう一つ違っているのは、その「首のこり」の根本原因になっていることの多い、骨盤の傾きやねじれに注目して同時に改善する治療を行っている点です。頚椎の変動には、必ずといっていいほど、骨盤のゆがみ、傾きがあります。女性の場合では、加えて腹筋力の低下による内蔵下垂もあります。「首のこり」は、こうした色々な部分の変動があって生じているため、その改善が重要でもあるのです。




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一対一で時間を共有する

我々が日常生活で、互いが面と向かって「からだ」のことを真剣に話し合う場面がどのくらいあるでしょう。手近なところではテレビやラジオがその時々の流行的なものを報道していますが、それが自分自身に重要な話題なのか、はたまた5年後、10年後にも通用する話題なのかは甚だ疑問であります。

我々の治療は、目の前の患者さんの顔色を見、脈を診て現状と対策とを即座にやってのける治療です。今正に目の前で訴えている体の声を代弁することができるのです。漢方の医学は、難しそうな理論は確かにありますが、体が発信している信号は至ってシンプルで、5つの要素(五行)と、それが「虚」しているのか「実」しているのかということにあります。

「虚」に対しては「充実」させることを目的に、「実」に対しては「放出」させる目的で「はり」の手技を行います。こうして「虚実」の反応が「充実」した状態になって体は改善されていきます。こういう経過を治療と同時に解説しながら体の変化を体験して頂けるのが漢方の「はり治療」だといっていいでしょう。

こうした治療を行い、疑問があれば質問に答えながら、互いに向かい合って症状の経過と改善策を考えて進めていける治療になります。そして何といっても何億人という人間が存在する中で、お互いが面と向かっている「ご縁」を思うと、この治療している「ひと時」が掛替えの無い時であり、私には大事に大事に考えたい時間になっています。




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「もの」にこだわる訳

我々は、通常では「食物」を食べなければ生きていけません。「食」という「物」を食してはじめて「生きる」ということを継続できています。これは「呼吸」のように勝手に無意識に作動して目的を遂げられるというようなものではありません。自ら積極的に「食物」という「形あるもの」を求めなければ得ることができないからです。

生きる最初が「食べ物」なのですから、人が「もの」を欲するのはいかにも「生理的」であるといえるでしょう。こうしてみると人が「もの」に如何にこだわって生きているのかがみてとれます。しかしながら、こだわった挙句に「もの」をかき集めても、そこにあるのは「食あたり」ならぬ「ものボケ」です。手に入れても集めても「もの」では満たされません。

一方で我々人間は長い年月をかけて「食べる」ためだけに生きるのではなく「生活文化」という形で「精神性」を養ってきました。「スポーツ」や「芸能」「趣味」などはそいういったものの延長線上に編み出されてきた習慣や創意工夫の結集のようなものです。食べて寝るだけにとどまらない人間ならではの能力といっていのかもしれません。

本来は「心」を満たすための「精神文化」も、のめり込んでいくうちに、ついつい「形」にこだわってしまい「生きるための食物」に似たような「もの」へのこだわりが優位にきてしまいます。別に各個人が「形」にこだわっても、何ら不都合はありません。問題は、それが人を縛り思考を停止させてしまうことです。




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