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心の栄養を考えてみる(3)

「こころ」とは、形として捉えることができません。ですから、栄養学のように数値化するわけにもいきません。それでも「心」が満たされたり、空虚になったりと「感じ取る」ことでその存在が認識できるのも確かです。形でない「こころ」は常に感じ取る存在といっていいでしょう。では、「こころ」というのはいったい何を持って満たされて成長しているのでしょうか。

まずは「匂い」です。この「匂い」が「こころ」の栄養の出発点だと考えていいと思います。いい「匂い」には「こころ」の安定を生み、不快な「匂い」は、嫌悪感となって「こころ」に伝わります。寺院や我々の治療室に漂う「もぐさ」や「線香」の香りを嗅ぐと、ほとんどの人が心地よく落ち着いた心境になれます。それだけでも「こころ」の栄養に大きく貢献しているかと思います。

「匂い」をもっと広げて考えると「呼吸」にいきつきます。その場所ごとに実は「匂い」があって、その「匂い」を嗅ぎながら生活しています。そうやって「呼吸」から我々は「こころ」の栄養になるものを吸収しているのです。「匂い」に含まれているエネルギーを「宗気(そうき)」といって、それを吸収して「こころ」を養っているのです。

このように「呼吸」や「音」といった目に見えない働きこそが「こころ」の栄養になっているので、それらをうまく吸収して「こころ」の充実を図ることが重要になります。呼吸器というのが精神作用に大きく影響しているのはそのためで、呼吸器である「肺臓」の機能強化は「こころ」の安定に欠かせないのです。




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心の栄養を考えてみる(2)

「音」と対比されるのが「光」です。「光」が集約したものが「物質」になります。物に対する欲望というのは、「光」が放つ「物質」に対する欲望と考えることができます。「光」は「影像」になって入ってきます。見るという作業は「光」を見ているため、「光」を求めるばかりにそれが益々「影像」として脳裏に映し出され、それが「幻想」をも生み出します。

「もの」は、「光」を発っして感じ取るものですから、いくら追い求めた大切な「もの」であっても、やがてはその「光」に慣れてきて「もの」への関心が薄れてくる運命にあります。それにも関わらず、手に入れた時の「快感」は、残ったままですから、また違った「もの」を求めることになります。それを繰り返すうちに「もの」が「残像」となって脳内に残り、「もの」への思いが強くなるほどその「残像」があたかも「存在するもの」のように浮かび上がります。

これが「幻想」のもとといっていいのかもしれません。「幻想」は、使いこなせば「芸術」となります。ところが、この「幻想」が快楽に終始し、次から次へと「違うもの」へと「もの」に目移りしてしまうと、その対極にある「心」が「もの」に支配された状態になっていきます。

「形へのこだわり」が「心の荒廃」につながっていくのは、「もの」にこだわった挙句にその「もの」の放つ「光」に慣れてしまって、感覚が麻痺した状態だといえるでしょう。そこで「光」と対比される「音」の存在が重要になります。好きな音楽を聴くもよし、自らカラオケで歌うもよし。このように「音」を楽しむことは「心」を満たす一つの方法です。私の「声」を聞いてみる、というのもその一つです(笑)。




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心の栄養を考えてみる(1)

食事で摂る栄養が大事なのはわかりやすい話で、その摂り方が簡単ではないだけです。翻って「心」が栄養されているなんて考えた事、あるでしょうか。「心」が健全であることが大事なのは皆わかっていると思いますが、ではいったい「心」がどうやって養われているのかというと、案外わからないという答えが返ってきそうです。

我々動物は、一先ず食べてさえいれば生きていけます。しかし、これだけでは他の動物と同じになります。呼吸はどうでしょう。これも単に吸ったり吐いたりだけだったら他の動物と同じです。音はどうでしょう。これも身を守るだけに音を察知するのだったらこれも他の動物と同じです。

そう考えると「心」を養うというのは、他の動物との違いを考えてみることにヒントがありそうです。人は「食べる」ことでは、そこに「うま味」を感じ、「呼吸」では「精神」の安定を図り、「音」では、「音色」や「音階」の組合せで聞き分け楽しむ術を知っています。食べ物やその土地が有する匂いというものを「宗気(そうき)」といい、これが精神を養っていると漢方ではみています。

更に形が無いものの代表が「音」や「匂い」です。形が無いのに感じることができる「音」や「匂い」こそ「心」の栄養源だと考えていいでしょう。精神が荒廃して「心」もとない状態になると、ちょっとした「音」や「匂い」に敏感に反応し嫌悪感を覚えるのもそのためです。と考えると、それを滋養するのは「良質の音」「良質の匂いが漂う環境」であったりするのです。寺院へ足を運ぶと「心」が落ち着くのもその影響があります。治療室の「もぐさ」や「線香」の香りもその効果の一つです。




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「股関節」と「はり」治療

人体の解剖をよくご存知の方ほど、何ゆえに「はり」で「股関節」を治療できるのかというような疑問をもたれることでしょう。実際に手にしている「はり」は、それはそれは小さなものですから、局所である「股関節」には到底とどきません。それゆえの疑問も無理からぬことです。

確かに、「股関節」の症状は、足のつけねの奥にある関節面にできた異常で起こっている場合が多いと思います。しかし、その関節面の異常とともに実際問題になっているのは、その局部というよりも骨盤の傾きであったり「股関節」を取り巻いている前後左右の筋肉であったり、足首の柔軟性であったりと様々な所見のほうであったりするのですす。

そうした、ひとつひとつの条件を「はり」の治療では、注目して診断して治療に当たっています。緊張している骨盤周辺の筋肉を緩めたり、足首の柔軟性を引き出してやったり、案外お腹の筋肉の硬直がアンバランスの原因になっていたりもしますので、それらを緩めてバランス調節をするのです。バランスがとれてくると「股関節」に加わっていた負担が改善されて、それに伴って異常をきたしていた関節面が修復されていくというわけです。

また、「股関節」そのものに奇形があるものなどは難症でありますが、この医学では、肝臓の強化で「筋力」を養い、腎臓の強化で「骨」の栄養を改善する目的で治療が行えます。体質の強化とは、このような治療のことを指すと思うのです。ですから、手術をと考える前に、先ずは「はり」の治療を受けてもらうことが賢明だと考えます。手術はその後でも決して遅くはありません。




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