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怒りたくり

我々は、意に反した状況に出くわしたり、自分が信じる正義が否定されたり、侮辱されたりすると「怒り」がこみ上げてきます。正義感というのは千差万別で個々に微妙なずれがあるのが通常ですが、それゆえしばしば個々の正義感には、衝突が起こる運命にあります。その結果として湧き上がってくるのが「怒り」の感情です。

大事にしていたものを他人に否定されたり、わが子が自分のいうことを聞かない思い通りにならないだとか、夫婦間において互いの思惑が違っていてどちらも譲らないなどなど「怒り」の原因はさまざまです。スポーツなどではもっと顕著で、空振りしたバットを叩きつけたり、OBを叩いたクラブを投げやったりと、これもさまざまな状況が目に浮かびます。

どれもその原因をたどると、やはり「意に反した」状況があり、正義感が傷つくところにあるようです。この時、現れる「怒り」の感情は、拳を握ることで強く感じ、それを解消しようとの決意がぐっと高まってきます。それゆえスポーツでは、バットやクラブ、ラケットなどのような道具に当たって(決して格好良くはない)、案外その後はまた、気持ちを入れ替えられていたりします。

道具では、それで済まされますが、その対象が人の場合にはそうもいきません。もともとこの「怒り」の発信源は「肝臓」にあります。物事の高等な価値判断は「心臓」が受け持っていますが、目前の行動を決断するのは「肝臓」の力によります。ゆえに「怒り」の反応は「肝臓」の興奮にあり、その結果として「肝臓」の支配下にある「筋肉」に伝わって「拳」を握って「怒る」のです。つづく




       これがわたしの思いですありがとう地蔵
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笑うてみぃや

「笑う」ことと「心臓」との兼ね合いは、何となくわかってもらえたでしょうか。漢方医学でいう「心臓」というのは、単なるポンプの働きのみをいっているのではありません。そこには「心臓」とう文字が示す通り、「シン」=「神」という言葉で繋がっています。神が宿るほどの崇高な場所であるとみているのです。

「神」という存在は崇高であることを意味しています。ですから自分なりの最高の判断を下している場所、物事の良し悪しを判断している場所、それが「心臓」だということになります。その判断力に磨きをかけるのに「笑う」ことが重要なのです。また「笑う」にも「こころ」に余裕がなければ腹の底から「笑う」ことなどできません。

しかし、人のいいところは、その余裕が無くても「笑う」という現象を意図的に真似て作り出すことができることにあります。全然、「笑う」気分で無い場合でも、笑ってみることはできます。はじめは引きつりながらでもいいでしょう。笑ってみることです。難しく考えずに、とにかく笑って見ましょう。鏡を見ながら笑う表情を作るとなおいいでしょう。

そうやって、無理やりにでも「笑う」動作をしばらく続けていれば、にわかに胸の奥のほうがポカポカしてきます。まさしく「心臓」に安らぎが伝わった瞬間です。このように形から入っていっても、「心臓」に「笑う」影響を及ぼすことができます。ただし「嘲笑」からは、このような崇高な作用は生まれません。虚心坦懐、心を素直にして「笑う」ことに意義があります。




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笑うちゃって

「笑う」とどうなる? 笑っている時に緊張してみてください。間違いなく引きつったなんとも妙な表情になります。それはなぜかというと、「笑う」という動作が「緩む」ことで成り立っているからです。だから緊張しながら「笑う」というのは、相反する作業を同時にやってしまおうという不自然な作業になるのです。緊張を解かなければ普通に「笑う」ことはできません。

しかるに「笑う」ことの効用は筋肉を緩ませることにあります。漢方では「五志」といって心の状態を5つの要素で分類し、それを五臓六腑に当てはめています。その中の一つが「笑う」で、その作用は「心臓」に影響を与えています。「心臓」は、死ぬまでほぼ休むことなく「収縮」と「弛緩」を一定のリズムで動いていますから、ちょっと休憩というわけにはいきません。

その「心臓」に唯一休息を与えられるのが、「笑う」という動作になります。休むことができない「心臓」の働きに「笑う」という作業は微妙な緩みを与えて緊張を解いていると考えたらわかりやすいでしょうか。それと同時に「心臓」の役割は、我々の高等な判断能力の場であると捉えているのが漢方の医学です。ですから、「笑う」という動作の最大の効用は「こころ」の緊張をほぐすことにあるといえるでしょう。

「笑う」動作が高等であることの証は、他の動物には見られない動作ということからも見て取れます。笑いながら散歩している犬や笑ったサルを見たことがありますか?動物園でもジャングルでもそこに「笑顔」の動物がいるでしょうか?それだけ「笑う」動作は高等技術を要する動作であるといえます。それでいて「すべって転ぶ」だけの動作を見せられると「笑え」てしまいます。人間にとっては、考えるほどに難しく、やってしまえば簡単なのが「笑う」ことです。つづく




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「気」というエネルギーは迷信か

以前にもいいましたが、からだは年月を重ねるごとにただでさえ「陰性化」しています。ましてやストレスが多い生活や、陰性食品の多量摂取で体が「陰性化」して病気のほうへと傾きやすくなっています。「はり」の治療というのは、そういった「陰性化」に対処して体を「陽性化」することで病気を乗り越えられる体づくりの治療だといえるのです。

そのために欠かせないのが「気」の力です。確かに「気」という力は眼で見ることができません。ましてや感じようとしなければ皆目わからない存在であります。それでも何故に我々のような「生命」が誕生したのかというような事を考えると「気」という力から眼を背けるわけにはいかないのです。

そしてよく考えてみてください。我々の「常識」などという範疇でこの「宇宙」の存在を見極められるかということを。先端の科学では、ビッグバンから始まって現在、猛スピードで宇宙は広がっているということがわかってきました。それでも、それは我々が存在しているこの「空間」のことに過ぎません。広がっているその外側はいったい何かというのは想像もできない世界です。

しかし、どういった「空間」であっても「気」というエネルギーさえ存在していれば、それを起点にして行動が起こり、それが発展して「物」を創り出す原動力になるということは想像できます。現代人は中途半端に小さい世界を覗き見て、物質とそれを映し出す影像に真実があるかのような錯覚を抱き、この広大な世界を生み出した「命の源」ともいうべき「気」というエネルギーの存在に疎くなっている、そんなふうに感じますね。


※高知では大雨により多くの方にご心配頂きましたが、幸いこちらには被害はなかったものの、地域によっては様々な被害が確認されています。被災者の方々には心よりお見舞い申し上げます。




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